先日、不思議な出会いがあった。
静岡市にある大好きなレストランで、食事を済ませて、 車を出そうとしたときに、私の不注意で、 停車してあった他の車に傷をつけてしまったのだ。
私は慌てて店内に戻り、車の所有者を探したところ、 ある女性のものだとわかった。
お詫びをし、その方と連絡先を交換するために、 お互いに名刺を差し出すと、その方が「マヤ暦」 の鑑定をされることを知る。状況が状況だけに、 不謹慎だとは思いながらも、
「実は、うちもマヤのコーヒーを販売しているんです」
と口に出さずにはいられなかった。
静岡と浜松は、高速でも1時間かかるくらいの距離があって、 なかなか頻繁に通うことはできないのだけれど、それでも私は、 このレストランが大好きで、何かきっかけを見つけては、 食べに行く。
そんなすばらしいレストランで、その女性が、 ご家族でゆっくりお食事をされているときに、車を傷つけ、 食事を中断させてしまったことは、本当に申し訳なく、 自分の不注意をひどく反省するのだけれど、その女性は、終始、 穏やかに対応してくださったあと、何か思い出したかのように、 私に生年月日を尋ねたのだ。
何日か経って、車の修理を終えたというご連絡とともに、 私の手元に「マヤ暦の鑑定書」が届いた。
マヤ暦、興味あります!
と確かに私は言ったが、 まさかこれほど丁寧な鑑定の結果が届くとは。
さっそくページをめくると、それは時々、 専門書を読むように難しい表現がありつつも、ひとつ、 2020年が私にとってとても重要な年であることがわかったのだ 。
あと2年か・・・。
ちなみに、鑑定書によると、 2020年以前に同じように重要だった年がいつだったかと言えば 、私が8歳、つまり小学2~3年生のときだと言う。 8歳のときの自分がどうだったかは、全然思い出せないが、 8歳のとき以来に迎える節目の年だ。おちおちしてはいられない。
2020年に向けて、今から準備できることはなんだろう。
私の幼馴染は、20代の途中からアメリカにわたり、 その土地で資格を得て、看護師として働きながら、 二人の子どもを育てている。きっと彼女はもう、 浜松市民になることはないだろう。
自分が生まれた場所と同じように、 自分が暮らす場所は運命的に決定づけられているのだろうか。
ある程度の年になってから、私は、 自分の居場所を自分で選択してきたように思う。
例えば、小学生のときに、神戸からの転校生の存在で、 関西に強い憧れを抱き、高校を卒業して、 大阪の専門学校を選んだとき。
その後、 やはり中学生くらいの頃から抱いていた海外で暮らしてみたい、 という願望をもって、アフリカにたどり着いたこと。
さらに、「高校教師」という映画を観て、湘南への憧れを感じて、 大学進学の際、湘南エリアで暮らしたこと。
断片的な情報だけを頼りに抱いた「憧れ」が、 新たな場所に私を引っ張り出した。断片的な分、 神戸だったはずなのに大阪に行ってしまったり、 本当はアメリカに留学したかったのに、 アフリカに行ってしまったりと、 そのズレは幾分コミカルではあるものの、 そのズレが大きければ大きいほど、新しい「衝動」 が生まれるきっかけにもなった。
アフリカに行っていなければ、 まったく違う人生になっていただろうから。
たしか2015年だったと思う。
自分の居場所を定めたくて、 ある人に相談したことがあった。
自分の居場所を定めたくて、
「このまま大学時代から親しみのある神奈川に残るべきか、 それとも浜松に帰るべきか」
結局、そのときもそうだったのだが、答えを求めようとすると、 答えは出ない。
けれども、その翌年に、浜松市をフェアトレードタウンにする、 という活動に参加したことで、結果的に、 生まれ育った浜松に戻ってくることになった。 友人家族の好意もあって、浜松市内で作業場を借り、改装して、 浜松が私の居場所になって一年が過ぎた。
そして今、12月に12度目の渡墨を予定している。毎度思うことではあるが、 10年前はまったく無縁だったメキシコに、 まさかこんなにも通うことになるとは。
いつも何かに挑戦をするとき、私は新しい土地にいた。 2020年、そしてその先に、私はどこに導かれるだろうか。
宇宙でさえも、「人が行ける場所」になった今、言葉が違うとか、 文化、習慣、宗教が違うとかで、本来、 繋がっているかもしれない道を自ら遮断することはやめよう。その先に、 自分がつくりたい未来があるから、今は目の前にひろがる道を、信じて歩いて行こうと思う。