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豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業元年

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豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業元年

こちらは杉山が『三田評論』という冊子に寄稿した文章です

豆乃木がなる日 Story of mamenoki  起業元年

大学を卒業した年の10月、私は株式会社豆乃木をたったひとりで立ち上げました。社会人経験もさほどなく、自己資金も乏しい。売上の見込みもなく、あるのは「メキシコ産マヤビニックコーヒー」を日本中・世界中の人に喜んでいただけるものにし、企業として途上国のパートナーと共に成長したいという強い思いだけでした。

在学中、所属していた山本純一研究室のプロジェクトでこのコーヒーに出合いました。プロジェクトは、経済成長著しいメキシコにおいて、未だ貧困にあえぐコーヒー生産に従事するマヤ先住民の経済的自立を目的としたものです。同研究室ではJICAの資金を獲得し、栽培から加工までの技術協力に専念した結果、より高品質の豆の生産と、焙煎技術の向上に貢献しました。またフェアトレードによって日本への輸出促進も行いました。

私自身は大学入学前に、アフリカ三か国で青年海外協力隊として活動しました。活動を重ねる中で、貧困指数の高いアフリカとはいえ、一方的な「支援」には限界があると感じました。そして、最も経済的に困窮した状況にある農民らと、ビジネスパートナーとして付き合っていきたいと考えるようになりました。

大学卒業後の進路を考えたときに、私には「起業」という選択肢しかありませんでしたが、自分が一体何屋さんになるのかわかりませんでした。

迷走の中で出した答えがマヤビニックコーヒーの販売でした。コーヒー豆が、唯一、私がすでに手にしていた商材だったこともありますが、思い起こせば、コーヒーは、昔から私の憧れでした。

小さな頃、近所に住むコーヒー好きの叔母が、一年に数回、夕飯後に「コーヒーを飲みにおいで」と電話をくれました。当時の私は、まだコーヒーを飲めませんでしたが、暗い夜道を家族と一緒に歩きながらわくわくしました。そして、一杯のコーヒーのためだけに夜道を出かけるのだから、コーヒーとは、さぞ美味しい飲み物なのだろうと想像していました。

しかし憧れのコーヒーを仕事にするのは、とても勇気がいることでした。すでにコーヒーを仕事にしている人の並々ならぬ情熱を知っていたからです。でも、私は、途上国の生産者と接する機会を得て、彼らが抱える共通の課題、それは「作ったものを、適正な価格で売る」ことの大変さと、大切さを知っていました。だから私にはコーヒーを売る資格があると自らを鼓舞し、決意しました。

起業して一年。コーヒーを通じて、たくさんの人びとと交流できることに喜びを感じています。美味しいコーヒーがどれだけ人びとの心を和ませるかを実感します。あとは、コーヒーのフェアトレードを活発化し、生産者と共に成長していける体制を作っていきたいです。そのためには、常に人びとに気軽にコーヒーを飲んで交流していただける場所を確保することが、今の目標です。

三田評論 2013年1月号に掲載