こちらは、SFCクリップへの寄稿文より
10年遅れて入った大学が、SFCだった
SFCに入る直前まで、私は、高卒のアフリカ帰りだった。青年海外協力隊として赴任していたマラウイから帰国して間もなく、実家のある浜松市からSFCまで3時間ほど車を走らせ、AO入試の願書を取りに行った。わざわざ車で取りに行かなければならないほどに、出願までに残された時間は少なかったけれど、その数か月後に、すでに還暦を過ぎた両親は、突然「慶應生の子を持つ親」になった。高校を卒業してから10年が経っていた。
生れてはじめて「勉強の楽しみ」を知る
入学後、10も年が離れた同級生とは、どう接していいかわからず馴染めなかった。大学生らしいこと、例えば、サークル、学食、そしてSFCでは「残留」、には一切無縁で、なるべくグルワ(グルワだなんていかにもSFCっぽい言い方だけど)のない授業をとって、そつなく過ごしていた。そんな中で、唯一、自分の居場所となったのが、山本研(山本純一先生研究室)だった。そこでは、自分でテーマを設定し、黙々と研究をすればよかった。私は、マラウイの活動で携わっていた「一村一品運動」を探求すべく、SFCの奨学金をむさぼり、長期休みを利用して、マラウイや大分にフィールドワークに出掛けた。メディアセンターで本を選びながら、「私は勉強が好きだったんだ」と生まれて初めて知ったのもこの頃だった。気が付くと、SFCにもすっかり打ち解けていた。
SFCが導いた起業への道
卒業した年の10月に、株式会社豆乃木を創業した。
SFCに入っていなかったら、今ごろ、何をしていただろう。やっぱり同じように起業はしていたと思うけれど、こんなに早い段階から、たくさんの人の力に恵まれることはなかっただろう。そもそも、豆乃木の主な事業内容が、大学時代から関わっている山本純一研究室フェアトレードプロジェクト(通称FTP)が支援対象としてきたメキシコ・チアパス州『マヤビニック生産者協同組合』のコーヒーの輸入及び販売促進なのだから。本当を言えば、まだ自社で輸入をした実績はなく、今まさに、ニュークロップ(新豆)の輸入を手掛けようとしている最中に、これを書いている。そしてこの輸入は、間違いなく、創業以来のビッグチャレンジになる。
この先に描く世界・・・
現在は、さまざまな産地のおいしいコーヒーを、気軽に飲めるような社会になった。しかし、いわゆる「スペシャルティコーヒー至上主義」が、品質のみにフォーカスする余り、コーヒーの愉しみ方、そしてコーヒーを通して見える世界を狭くしているのではないか、とも私は思う。では豆乃木として何ができるのか。その答えは、とてもシンプルだけど、「お客さまと作り手をつなぐこと」に尽きる。よく「顔が見える」というコピーで、生産者の顔ばかりを見せようとするけれど、もうひとつ肝心なことは、作り手にお客さまの顔が見えることだ。お客さまの顔がわかることや、お客さまから喜びの声を直接受け取ることで、生産者は、さらに気持ちを込めて栽培に専念できる。だからこそうまいんだ、というコーヒーを、少しずつ世の中に提供していけたら、どんなに嬉しいことか。その関係性が世界中に広がった先に、どのような未来が待っているのか。私にも、実はまだはっきりわからないけれど、そこに希望があると信じて、毎日を、突っ走っている。
(掲載日:2012/06/25、記事転載にあたり一部加筆修正あり)
http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/20120625.html