マヤビニックの組合事務所の拠点であるサンクリストバルをしばらく離れることに。夜行バスでベラクルスに向かい、ベラクルスポート(港のある町)に着いたのは翌朝8時すぎ。バスに着いた途端、体は懐かしい湿度にまったりと包まれる。
予約していたホテルに向かい、荷物を預けようとすると、すでにチェックインが可能だと言う。この大らかさは嬉しい。さっそく部屋に入り、日本出発以来、念願のバスタブにお湯を張った。(サンクリストバルの部屋にはシャワーしかない。)
少しうとうとしてしまいそうになったところに、サンクリの宿のオーナーからメッセージが。
「最高の朝ごはんを食べるなら」
といって教えてもらったカフェがLa Parroquia。「朝」と指定されたからには、さっそく出発しなければ、ということで、重い腰を上げ、街に繰り出す。
海岸沿いをタクシーから眺めると、まるで、134号線を江ノ島から鎌倉方面に向かっているような錯覚。メキシコ湾はカリブ海から大西洋海につながっている。
創業125年になるベラクルスの名物カフェには、10時30頃に着いたのだが、混雑していて席が見当たらない。こんなにも「活気のあるカフェ」が日本にあるのだろうか。きょろきょろしていると、私の脇を白い制服を着たウエイターがせかせかと動き回っている。こんなにも機敏なサービスマンたちを、メキシコで(少なくともサンクリストバルでは)見ることもない。そしてそのせかせかとした動きの中に、笑顔があり、自信に満ちている。
ようやくテーブルに着いた。名物はどうやらcafe lechero(カフェ・レチェロ)というカプチーノのようなもので、グラスにエスプレッソが入っていて、そのグラスをスプーンで「チンチンチン」と鳴らすと、両手にミルクの入ったやかんを持ったウエイターが来てくれて、高い注ぎ口からグラスにめがけてミルクを注いでくれる。そして自然に空気を含んだ、泡立った飲み物ができるのだ。
ようやくテーブルに着いた。名物はどうやらcafe lechero(カフェ・レチェロ)というカプチーノのようなもので、グラスにエスプレッソが入っていて、そのグラスをスプーンで「チンチンチン」と鳴らすと、両手にミルクの入ったやかんを持ったウエイターが来てくれて、高い注ぎ口からグラスにめがけてミルクを注いでくれる。そして自然に空気を含んだ、泡立った飲み物ができるのだ。
さて、それに合わせるパンには何が良いだろうか。私はガイドブックで見かけたメロンパンのような形をしたものをオーダー。しかし実際食べてみると、黄粉のような舌触りで、素朴な甘みのあるパンだった。
周りを見渡すと、チュロスが人気で、チョコスをcafe lecheroにつけて食べていた。
それにしても珍しいエスプレッソマシンだ。日本にもあるのだろうか。イタリア・トリノと書いてある。エスプレッソの歴史を見てみると、1901年、ミラノのベゼラ(Luigi Bezzera)氏が蒸気圧を利用した業務用機械の特許を初めて取得たことがわかる。もともと、コーヒーの抽出速度を上げるためにエスプレッソにつながるいろいろなマシンが考案された、ということだ。抽出速度をあげるため、というのがいかにも欧米的だ。
*画面上部の取っ手になっているところに、恐らく500g~1kgほどの粉が詰まっている
似たようなカフェが近所にもう一か所あった。こちらは純粋にコーヒーの味を感じたくって、エスプレッソで注文したのだが、苦いだけの液という感じだった。
以前、ブログで、生産国の焙煎・抽出について記事にしたことがあるが、このカフェのように、この街には、街に住む人びとからも、観光客からも愛されているカフェとその独特の抽出方法があって、コーヒーを楽しむ環境があることが嬉しかった。やっぱりメキシコと一口に言っても、その風土(ベラクルスは大西洋側に面した港町)によって、文化が少しずつ違うのだ。似たようなカフェが近所にもう一か所あった。こちらは純粋にコーヒーの味を感じたくって、エスプレッソで注文したのだが、苦いだけの液という感じだった。
この街にいられるのは今日かぎり。明日は、港を離れ、ベラクルス州都のXALAPA(ハラパ)に入り、翌日には日本でもコーヒーのブランドで知られているコアテペックという場所へ向かう予定だ。