グアナファトに来た途端に、たくさんの日本人を見掛けるようになった。近年、日系企業がグアナファト近郊の都市に次々と進出しているとか。
「あと5年はメキシコです」
とこともなげに言う企業戦士。
5年間、太平洋と14時間の時差を乗り越えた異国で、母国語の通じない環境を日常化する人たち。そのバックには、彼らとその家族だけでなく、多くのメキシコ人(そしてその家族)を乗組員とする船(企業)がある。その企業も、最初は、小さな小さな町工場だったかもしれない。浜松の小さな整備工場として産声をあげた「世界のホンダ」のように。
私も出会った人たちに、滞在の目的を問われ、
「メキシコのコーヒーを日本で販売しています。」
と言うと、お相手も珍しそうにする。そして、私に重要な問いを投げかける。
「メキシコのコーヒーっておいしいんですか」
メキシコのコーヒーと聞いて、その瞬間から目を輝かせる人はほとんどいない。コーヒー栽培に恵まれた環境の中で、戦略的にオーガニックコーヒーの栽培を行い、世界でも有数のコーヒー産地であるにも関わらず。
ふと、大学在学中、一村一品運動を研究テーマに据えた自分の卒業論文が脳裏をよぎる。
「モノ一般に固有価値があるが、それが人間によって把握されなければ、その価値は有効な形で利用されない。すなわち、固有価値の享受能力が人間に備わっているときにモノの有効価値が発現される」
どっかの先生(正しくは西川芳昭,2007)の引用なのだけれど、この文章は、この滞在に限らず、頻繁に私を刺激する。そして、価値を享受できる私でありますように、価値を享受できる私でありますようにブツブツブツ・・・とこれまでも唱えてきた。
それでね、西川先生(すみません、面識もないのに勝手に呼び出して)。今、私は以前にも増してメキシコのコーヒーに価値を感じているよ。この滞在でそれはものすごく強まったよ。メキシコに来られたことで「やらなければいけないこと」ではなくって「やりたいこと」がたっくさん沸いてきたよ、先生!
そういえば、出発前にこんなことがあった。
何かのきっかけで、順調に事業を起ち上げてこられた方に、その要因を尋ねたとき。会話の中でその方が、
何かのきっかけで、順調に事業を起ち上げてこられた方に、その要因を尋ねたとき。会話の中でその方が、
「やりたいこと、なんでもいいから、書き出してみたら」
と言ってくれて、手帳を開いたものの、私のノートはそのまま真っ白。
挙句、
「やりたいことがわからない」
といって、その方に泣きごとを言った気がする。
「そんな難しく考えないで」
と慰められたまま、終わったっけな・・・。
でもその通りで、「やりたいこと」は考えるまでもなかったよ。
それは衝動。
それは心の叫び。
5年後には誰にも、
「メキシコのコーヒーっておいしいんですか」
なんて言わせないよ(笑)
と、ここまで書き終えたところで、ランチタイムの知らせ。と言ってもすでに15時(こちらでは珍しくない時間帯)。
ホストファミリーのランチ、今日はカレーライス風だ。
ホストファミリーのランチ、今日はカレーライス風だ。
「カレーはメキシコ料理にもあるの?」
と聞いたらそうではないらしい。
「Esta es la comida japonesa(これは日本のお料理でしょ!?)」
さりげないホストファミリーのやさしさも、しっかり享受した昼さがり。