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News & Columns お知らせ

当社では少量から、フェアトレード及び無農薬栽培された
コーヒー豆を卸売り価格にて販売させていただいております。

セイコ社長の【ガチ日記】

2019/10/20

9年目もよろしくお願いします

豆乃木は8歳を迎え、近年の豆乃木の変化について振り返ってみました

9年目もよろしくお願いします

2019年10月20日、豆乃木は8歳を迎えました。

毎年、会社のお誕生日になる頃には、『Story of Mamenoki』に記事を追加しています。
もしご興味持っていただける方は、下記にリンクを貼っています。
>>豆乃木のこと

その中でも一番初めに投稿したのがこちら
>>豆乃木がなる日 Story of mamenoki 起業元年

こちらは、ある小冊子に寄稿した文章です。
今回は、こちらの『起業元年』を振り返り、現在の自分が、8年前の自分に対して、

✅ どんなことを感じるのか

✅ 過去の自分へのアドバイス

をしてみようと思います。

豆乃木でコーヒーをご購入いただく、個人経営者の皆様の中には、まさにお店を始めたばかりだという方もいらっしゃると思いますので、何らかの参考になれば嬉しいですが、それぞれの「起業」の形があるのもまた事実。まずは、体験をシェアできればと思います。

起業に適した年齢とは?

  大学を卒業した年の10月、私は株式会社豆乃木をたったひとりで立ち上げました。社会人経験もさほどなく、自己資金も乏しい。売上の見込みもなく、あるのは「メキシコ産マヤビニックコーヒー」を日本中・世界中の人に喜んでいただけるものにし、企業として途上国のパートナーと共に成長したいという強い思いだけでした。 


私が大学を卒業したのは30歳の春。その年の、31歳を目前に、起業をしました。

起業するのに、年齢はまったく関係ありませんが、当時は
「もう31歳の“おばさん”になってしまう。1日でも早く起業したい。」
という気持ちで起業したように思います。

言うまでもなく、今日がこれからの人生の中で一番若いのです。
豆乃木の誕生日の数日後に、自分自身もまた一つ歳を重ねるわけですが、年齢よりは、体力・気力が発揮・維持できることが大切で、それが「若いうち」と思うのであれば、早めに起業した方が良いし、出産や子育てをしながら会社経営をすると、100%会社の為に時間を遣えなくなると言いますが、その分、作業を効率化できたり、リモートで仕事をする工夫をしたりと、状況次第で、いろいろな展開ができるのが、起業の良い点ではないでしょうか。
なんと言っても、自分でルールを作ればよいのです。


ひとつ思うことは、大学を卒業してから起業する、と思っていましたが、今にして思えば、在学中に起業しておけばよかったと思います。
そうすれば、大学のリソースも活用して、ひとまず奨学金もあったので、生活のことを心配せずに、事業に集中できたかもしれません。



「ビジネスで問題を解決する」

在学中、所属していた山本純一研究室のプロジェクトでこのコーヒーに出合いました。プロジェクトは、経済成長著しいメキシコにおいて、未だ貧困にあえぐコーヒー生産に従事するマヤ先住民の経済的自立を目的としたものです。(中略)

私自身は大学入学前に、アフリカ三か国で青年海外協力隊として活動しました。活動を重ねる中で、貧困指数の高いアフリカとはいえ、一方的な「支援」には限界があると感じました。そして、最も経済的に困窮した状況にある農民らと、ビジネスパートナーとして付き合っていきたいと考えるようになりました。


コーヒーとの出合いは、大学の研究室がやっていたプロジェクトでした。
大学に進学していなくても、このゼミに入っていなくても、なんらかの事業を立ち上げていたと言う確信はありますが、コーヒーを扱うことになったのは、大学のゼミでの出会いがなければあり得なかったと思います。
ここに書いてある通り、私はアフリカ三ヶ国で青年海外協力隊として活動していました。当時も、零細な農家さんの作る産品を品定めしながら、「これは日本や世界のマーケットで通用するだろうか」「こんな商品だったらどうやって販売したら良いだろうか」などと空想していました。

JICAや国際機関で国際協力の道を模索した時期も一瞬あったように思いますが、ここにあるように、例えば、(当時の私にように)自分で起業したことがない人間が、スモールビジネスの運営やマーケティングの的確なアドバイスができるはずもなく、私には、「途上国の生産者とビジネスで関わりながら、彼らと一緒に問題解決をする」と言う考え方がしっくりきたのです。


コーヒー屋さんになると言うこと

大学卒業後の進路を考えたときに、私には「起業」という選択肢しかありませんでしたが、自分が一体何屋さんになるのかわかりませんでした。

迷走の中で出した答えがマヤビニックコーヒーの販売でした。コーヒー豆が、唯一、私がすでに手にしていた商材だったこともありますが、思い起こせば、コーヒーは、昔から私の憧れでした。

小さな頃、近所に住むコーヒー好きの叔母が、一年に数回、夕飯後に「コーヒーを飲みにおいで」と電話をくれました。当時の私は、まだコーヒーを飲めませんでしたが、暗い夜道を家族と一緒に歩きながらわくわくしました。そして、一杯のコーヒーのためだけに夜道を出かけるのだから、コーヒーとは、さぞ美味しい飲み物なのだろうと想像していました。

しかし憧れのコーヒーを仕事にするのは、とても勇気がいることでした。すでにコーヒーを仕事にしている人の並々ならぬ情熱を知っていたからです。でも、私は、途上国の生産者と接する機会を得て、彼らが抱える共通の課題、それは「作ったものを、適正な価格で売る」ことの大変さと、大切さを知っていました。だから私にはコーヒーを売る資格があると自らを鼓舞し、決意しました。


コーヒーは昔から好きでした。
今はコーヒーと関わることができて、本当に幸せです。
でも私は「寝ても覚めてもコーヒーのことを考えてる」と言うような人間ではなく、旅もしたいし、山も登りたい。買い物もしたいし、友人と語らいたいし、食べることも大好きです。
とはいえ、旅先では必ず美味しいコーヒー屋さんを探したくなるし、山に登れば、山頂でコーヒーを淹れたくなるし、コーヒー豆を販売していても、他のお店のコーヒーはいくつも買いたくなるし、友人と語らう時はコーヒーがないと落ち着かないし、食べ物の風味に少しだけ敏感になってきたのは、コーヒーと向き合っているからだと言う気もします。

憧れのコーヒーが仕事になった今も、「単なるコーヒー好き」の立ち位置は変わらず。
今は何より、コーヒーを介して知り合うことができた人たちが、本当に豊かで、素晴らしい方が多いので、こうやってなんとかやってこれているのだと、これは自信を持って言えることです。



「無店舗」経営だった頃

起業して一年。コーヒーを通じて、たくさんの人びとと交流できることに喜びを感じています。美味しいコーヒーがどれだけ人びとの心を和ませるかを実感します。あとは、コーヒーのフェアトレードを活発化し、生産者と共に成長していける体制を作っていきたいです。そのためには、常に人びとに気軽にコーヒーを飲んで交流していただける場所を確保することが、今の目標です。


当時は、大学時代に借りていたアパートの一室が、私の職場でした。
大学を卒業してすぐの私には、先立つものはなく(それでも起業してしまうあたりが無謀と映るかもしれませんが)、自分のできる範囲で、業務を少しずつひろげていきました。なので、最初の4~5年は非常に時間がかかりました。
おそらく用意周到に準備をしていた方が1年でできることを、4~5年かかってやっていた、という感覚はあります。決して手を抜いていたわけではありませんが、随分と遠回りをしたものです。

2年前に拠点を浜松に移し、ようやく小さな作業場を持つことができました。それによって無店舗時代と何が変わったかと言えば、人を招きいれることができたことです。
コーヒーのお話しを聞きたい、コーヒーを買いたい、という声をいただいても、それまでは、なかなかその場をつくることが難しかったです。
豆乃木の作業場は、小さいながら、いろいろな思いが詰まっています。その場所に来ていただくことで、何かを感じていただけるかもしれませんし、「会ってお話しができる」という安心感もあるかもしれません。
無店舗が、「コーヒーが売れない」理由にはなりませんが、「実態」をお見せできるところがよいのかもしれません。
私ははじめての人に会うと、
「そんなに背が高かったのですね」
と驚かれることがあります。
そんな感じで、会って、この場所に来ていただければ、豆乃木の規模感とか、どんなことをやっているのか、とか、どんな人なのか、とか、やっぱりある程度わかってしまうわけです。バレてしまうのです(笑)
それが良いところではないでしょうか。

起業という選択

9年目の目標については、改めて別の記事を書いてみます。
起業というチャレンジは、私に「根気」を与えてくれたし、「人からの応援」もたくさんいただきました。もう一度、大学生に戻って、将来を選択できるとしても、私は「起業」の道を選択するでしょう。それは間違いなく。