早いもので24日目。
ベラクルスPORTEからベラクルスの州都XALAPA(ハラパ)まではバスで1時間くらいだっただろうか。ハラパという名まえはトウガラシの品種の一つハラペーニョの語源となっているらしい。
ハラパに着いたのは12時を過ぎていた。昨晩の、プール併設(そして恐らくカジノ併設)のホテルとは180度違う、こじんまりとしたホステルを予約していた。とにかく、ここハラパで日本でも名の知られているコーヒー産地、コアテペックの情報を仕入れなければならない。ひとまずコアペテックまでの行き方を尋ね、コーヒーミュージアムの住所だけをメモする。それ以外は、コアテペックへ行って考えよう。
その日は、 ベラクルスPORTEに引き続き、シュリンプカクテルや海鮮スープに舌鼓を打ち、ハラパの町を散策する。
まったく知らない街にバスで乗り入れるとき、いつも頭をよぎるのは、
「この街に私は住めるだろうか。」
「もし、この街に派遣されていたら、どうだっただろうか。」
ということだ。
派遣される、というのがいかにも青年海外協力隊の発想なのだが、2000年にジンバブエ(アフリカ南部にある内陸国)に赴任し、自分の任地となるブラワヨに初めて降り立った日のことは今でもよく覚えている。
この日ばかりは、ブルーアローという一等バスに乗って、同期と別れ、首都ハラレを出た。6時間で任地に着く、ということだけはわかっていたのだが、その道中、まったく変わらない景色の中を(見渡す限りのサバンナ)、一本の道をひたすら進んでいく。
一番高いところにあったお日様も、とっくに傾き、視界のほとんどを占める空が、刻一刻と暗くなっていく。一体この先に、本当にジンバブエ第二の都市など存在するのだろうか。空の色の変化とともに、不安がよぎった。
でもたしかに私の目は、遠くに街の灯りを捉え、それがどんどん近づいてきたときには、ひとつひとつを見失いたくなくって、目を大きく開いた。
整然とした街並みは、清潔感があって、私は一瞬で、本当に一瞬で、ブラワヨを好きになった。ここだったら2年間過ごせるだろう、とそう思ったのだった。
初めてサンクリストバルに来た時も、決してその必要はないのだが、
「私はこの街だったら生活できる」
と思った。
ハラパは、そういう意味ではやっぱり通り過ぎるだけの街なのかもしれない。程よく活気があり、程よくなんでもそろい、それほど不便もなさそうだけれど、せかせかしていて、なんとなく居場所がない。
どこへ行くときも私はそんなふうに勝手にジャッジをする。そして制服を着た学生たちが笑いながら、私の横を通り過ぎるとき、この子たちにとって、ここが故郷なんだろうな、とそんなことを想像すると、
「ああ、遠くまで来てしまったものだ。」
としみじみと感じるのだ。
明日、私が訪れようとしているコーヒーの町コアペテックは、どのような街なのだろう。また訪れたい、そんなふうに思える街だといいな。
宿の近くの坂 アップダウンの激しい街並み
チアパスでは見掛けないベラクルス産のコーヒーがスーパーに並ぶ
宿の近くの坂 アップダウンの激しい街並み
チアパスでは見掛けないベラクルス産のコーヒーがスーパーに並ぶ