株式会社豆乃木は10月で12周年を迎えます。同じ年に生まれた子どもが、小学校を卒業する年齢です。
神奈川県藤沢市のアパートの一室ではじまった小さな小さな会社ですが、12年という長い時間をかけて、ようやく、ほんの少しですが、「オーガニックコーヒー」や「フェアトレードコーヒー」に関心のあるお客様に見つけていただけるようになりました。
12周年をひとつの区切りとして、私たちがご紹介するコーヒー豆を、よりたくさんの人に知ってもらい、これまで以上に、皆さんと、コーヒー生産地・生産者をつなぐことができるように、「変化をしたい」と考えています。
そのひとつが、名称の変更です。
近々、「豆乃木」から旅立つ前に、12年前、創業当時の私が、「豆乃木」の名まえに込めた思いを、今一度、紹介させていただきます。
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豆乃木の代表杉山よりメッセージです。
2011年3月、東日本大震災が発生した。この忘れがたい年の10月20日、
代表、杉山世子(すぎやませいこ)は豆乃木と名付けた会社を登記した。
コーヒー豆屋だから「豆乃木」と思う人が多いかもしれないけど、
実はコーヒー豆屋になる決心をする前につけた名前だ。
「人びとが希望をもって生きていける機会を捉え、
サービス(モノ・コト)に変える」
その願いが、「豆乃木」になった。
その原点は、杉山が海外でのボランティア活動や大学の研究で
携わった「一村一品運動」。この運動は、今から30年以上前に
大分県でおこなわれた町おこしの運動で、
その究極の目的は「人づくり」にある。
いや、豆の木と聞いて、誰だって思い浮かべるのは、
「ジャックと豆の木」。子どものころに親しんだ物語。
杉山はさんざん悩んだ挙句、
社名に「豆乃木」を思いついたとき、天高く聳える「豆の木」の
イラストを思い出すことはできても、その物語の内容までは、
残念ながら覚えていなかった。
そこで、改めて、その内容をたどってみると、
これがひどい話だった…。
ジャックが、家から連れていった牛と豆とを
交換したところから物語は始まる。
牛が豆にすり替わったことに激怒した母親が、
豆を庭に捨てたところ、
翌朝、庭に、雲を突き抜けるほど大きな木が伸びていた。
ジャックは雲の上に存在する巨人の城から、金銀財宝を奪い、
その後、裕福に暮らしましたとさ。
そこで物語は終わっている。
正直、がっかりした。
豆乃木が思い描く成長は、一朝一夕には起こりえない。
だからマメマメしく働き、地面にしっかり根をはって、
養分を吸い上げて、いつか、大きく天高く聳える木になるんだ。
ひとりの力では達成できないかもしれないけど、
たくさんの人と一緒に力を合わせることで成長できる。
それは活動や研究を通して、一村一品運動が教えてくれたこと。
「人びとが希望をもって生きていける機会を捉え、
サービス(モノ・コト)に変える」
その第一歩を、たくさんの人の力をお借りしながら
フェアトレードコーヒーの輸入・販売を通して、踏み出している。
(2011年某日・記)