DAILY COFFEE NEWSで見つけたこの記事は、私にとっても、興味深いものでした。
「ダイレクトトレードとフェアトレード」どっちがより良い取引なのか?
この議論は、日本国内でも潜在的にあるような気がします。フェアトレードを推進している人たちは、そこまで敏感ではないかもしれませんが、ダイレクトトレード側の立場の人たちの中には「フェアトレードとは違う」と明らかに一線を画したい人たちがいます。
記事によると、フェアトレード側は「倫理的取引」至上主義、ダイレクトトレード側は「カップ品質第一主義」を譲りません。だからこそ、両者は交わらない、と。
ダイレクトトレード側も、「サステナブル」を声高に掲げていますが、フェアトレード側から見ると、それは単に、「カップの品質」を堅持するために、環境保持をするにすぎない、という独善的な態度が批判されています。
アメリカのフェアトレード推進者の方がラディカルで熱心な印象があります。
その証拠に、文中、
その証拠に、文中、
they’re a bunch of young, neo-liberal, arrogant hipsters in skinny jeans who have no understanding of the dynamics of underdevelopment and poverty.”
「彼らは低開発と貧困を理解していないスキニージーンズの若い、新自由主義的で傲慢な輩だ。」
というフェアトレード側から過激なのコメントが掲載されています。
一方で、フェアトレード側は、「コーヒーについて無知で、社会正義が品質が安定しない免罪符になっている」ことを指摘されています。
一方で、フェアトレード側は、「コーヒーについて無知で、社会正義が品質が安定しない免罪符になっている」ことを指摘されています。
ただ、対立ばかりを強調するものではなく、記事の終わりには、フェアトレード側のロースターにも、腕の優れたロースターがいることや、ダイレクトトレードのパイオニアであるあるCounter Cultureは、彼らの調達モデルの社会的影響を調べるという責任をしっかり果たしていることが紹介されています。
そう、今では、二項対立ばかりではありません。豆乃木の立場も同様で、社会正義へのコミットメントを損なうことなく、より高品質なコーヒーを生産者とのコミュニケーションを通して実現し、消費者へ提供するが至上命題だと感じています。
そう、今では、二項対立ばかりではありません。豆乃木の立場も同様で、社会正義へのコミットメントを損なうことなく、より高品質なコーヒーを生産者とのコミュニケーションを通して実現し、消費者へ提供するが至上命題だと感じています。
フェアトレードありきですが、品質へのこだわりは、絶対に無視できないと思うのです。特に、日本で、遠い国の豆を流通させるために、この視点は欠かせません。それが、社会正義を貫くためでもあると考えます。
皆さんはいかがお考えですか?
記事は下記リンクより。