昨晩、組合直営の「マヤビニックカフェ」の店長フェルミンに頼まれている手挽きのミルが前日になっても納品されていないことに気づき、夜中に慌てて車をドンキホーテに走らせた。
そして、今。あと数時間後に、メキシコへ出発しなければならないというのに、私は空港でラップトップをひろげて、「はままつフェアトレードタウンネットワーク」の設立趣意書の下案を書いている。
豆乃木の発送業務の半分を担ってくれていた八王子の「はなれ」に、残りの半分の業務を預けたことで、数日前から随分と身軽になっていたのだが、最後の最後までTo DOリストの中でうなだれていたのが、このはままつフェアトレードタウンネットワークの設立趣意書の作成だった。
私は依然、フェアトレードを、町ぐるみで取り組む意義やその活動の真の目的について、自分の中で「腑におちる」言葉が見当たらないでいる。フェアトレードタウンになるための一要件である、フェアトレード商品が、浜松市の人口80万人に対して、80店舗に普及されたのであれば、私たちの見える景色は変わるだろうか?
海外の何か国かで生活をする中で、私にとって、遠くの外国の生産者の生活っていうのは、それなりに「想像できる」ものになった。その暮らしがいかに慎ましく、そのことで、たくさんのことを諦めている現実を見たときに、生まれてくる場所が違うだけで、彼らの思い描く未来と、私が思い描く未来が、こんなにも違うものか、ということに驚いたものだ。話をすれば、同じ人間同士。一緒にダンスをしたり、つまらないギャグで笑ったりすることだってあるというのに。
日本で暮らす多くの人にとって、「もっとも遠い」ところにいるのが、いわゆる発展途上国と呼ばれる国々の農村で暮らす人びとではないだろうか。その「もっとも遠い」ところは、一見、もっとも関係のないものに思えるけれど、その「ここから見て一番端っこ」に思いを馳せることができたのなら、世界をまるごと愛でることができるのではないかと思うんだけど、違うだろうか。
日々の暮らし、食べるものや着るものをとおして、その「もっとも遠い人を思う」こと。そんな丁寧な暮らしをするきっかけを与えてくれるものが、私にとって「フェアトレード」で、それを推進するのが、私たちの役割なのかなと思うんだけど、それをうまく言葉にできなくて。
飛行機の中に持ち込まないように、フライトまでの時間で、仕上げよう。
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