メキシコシティからトゥクストラへ
予定していたメキシコシティからトゥクストラグティエレス行きの飛行機は、結局運航中止となり、4時間以上経って、同じ目的地へ向かう飛行機へと振り替えられた。最初の滞在地となるサンクリストバルのホテルにチェックインしたときには、すでに24時を超えていた。予定していたチェックインの時刻を大幅に過ぎている。日付をまたいでしまったことで、(チェックインできなかったらどうしよう)という新しい不安が沸きあがるも、タクシーを降りて、硬くしまった重い扉を勢いよくノックすると、ギシギシと音を立てながら扉は開き、レセプションに通してもらえた。24時間の移動を経て、大きなキングサイズのベッドに、ダイブしたい気持ちを抑え、インターネットを繋げる。そこからは、日本時間にシフトチェンジ。
2日目の朝からマヤビニックの本拠地・アクテアルへ
翌朝は、8時にサンクリストバルの中心地から少し外れた所にあるマヤビニック組合のオフィスへ。結局3時間も眠れなかったが、天気もよく、気分は良い。そこから、マヤビニックの組合員であるJuanさんに、マヤビニック組合の拠点であるアクテアルまで車で連れて行ってもらう。途中、Juanさんから、しきりに朝ごはんを食べるようにすすめられ、朝からカルドデポジョ(鶏のスープ)を啜る。一緒にカフェ・デ・オジャ(黒砂糖とシナモンで煮立てて作るメキシコスタイルのコーヒー)もオーダーする。
集荷場兼加工場に着いたときには、すでに大きな音を立てて、機械がまわっていた。オートメーションで生豆が麻袋の中にするすると吸い込まれていく。コントロールするのは、コーヒー部門の責任者、アントニオだ。
「あれ・・・」
心なしか粒も不揃いで、中には、明らかな欠点豆も含まれている。咄嗟に眉をひそめて、アントニオの顔を伺う。
アントニオは、「わかってるよ」という様子で、私を制し、
「豆が安定していないから、もう一回、選別をかける。もう一回、機械をまわすから、安心して。」
と言う。
「本当に?」
「明日になるけど、もう1回まわすよ。ほら、その証拠に、まだこの豆、仮の袋に入っているでしょ。」
といって、アントニオと一緒に建物の外に出る。彼の手のひらにのった2017年の新豆。マヤビニックの特有の濃い翡翠色したコーヒー豆だ。
マヤビニックの人たちによって育てられたこのコーヒー豆は、どんな風に私たちを楽しませてくれるだろうか。そう考えると、ネガティヴなコメントがし辛くなってしまうのだが、もっと多くの人たちを魅了するコーヒー豆になってもらいたいから、主張しなければならないときもある。
「アントニオに見てもらいたいものがあるんだけど」
と、私は持参した他国の生豆サンプルを取り出した。粒がそろっていて、全体的に統一感がある。100%とは言わないが、この状態をひとつの目標に定めて欲しい、と通訳を介して伝えてもらうと、アントニオは注意深くそれらの生豆を確認し、彼なりの解釈でそれらのコーヒー豆の状態や特徴を挙げた。何度か頷きながら、生豆を観察する彼の対応と、こちらが投げかける言葉の受けとめ方をみると、こちらの求める品質が、すでにどのようなものかということを、彼も理解していると思った。
アントニオの態度から、日本が求める品質に、なるべくならば、応えたい、という意欲を感じることができた。
ただ、広域で、700家族以上の組合員によってそれぞれに育てられた豆の集合体がマヤビニックコーヒーで、その品質水準を一律に上げるということは、一朝一夕には遂げられない。
だから、その平均点をあげる選別の作業が重要な鍵となる。そこに立ち合うことが、今回の最大のミッションだった。
コンテナを満載できるほどの購買力もなく、言葉のとおり「熱意だけ」で、ここチアパスの生産地までやって来ている、という事実を、彼らが好意的に受けとめてくれている。
その証拠に、アントニオは私を見て、にやにやとこう言った。
「豆を追いかけて、マンサニージョまで行こうとしているんだって?」
私が何往復かのメールのやり取りの中で、ロジを担当しているハビエルに告げた「積み込みや出港を見守りたい。」ということを聞いているらしい。
「セイコはヤバイな。マジだな。」
というような雰囲気が、ハビエルとアントニオの間で、一瞬ふわっと充満したのだろうか。
こちらの100の熱意が、100で伝わっていると感じる「にやにや」だった。
その証拠に、一日でも早く準備してあげたい、と協力的なスケジュールを提案してくれていたのだ。
結果的には、船の手配については、
1「豆乃木から乙仲さんへ依頼」
2「乙仲さんが船会社を手配」
3「船会社とメキシコのコーヒー組合と調整」
という3段階があり、帰国のリミットである26日(月)に間に合わないことが判明していたのだが、最後の最後まで、輸出部門を担うハビエルが
「マンサニージョまで行くの?」
と気にかけてくれた。挙句、
「行きたい気持ちは山々だけど、豆が間に合わないから、今回はあきらめるよ。でも積荷の状況とか、すべて写真で報告してほしい。」
と伝えると、
「ではマヤビニックから誰かマンサニージョに派遣しようか。」
と真顔で提案してくれたのだった。
サンクリストバルからマンサニージョまで陸路でも2日がかり。さすがに戸惑い、
「いやいや、そこまでしてくれなくて良いよ。あとはあなたを信頼してお任せするよ。ただ、コンテナの装備がとても重要だということを知ってもらいたいだけ。」
といくつかの注意事項を確認し合う。
「わかった。それは必ず実行して、写真を送るよ。」
と約束を交わし、固く握手。
まじでヤバイ奴・・・
マヤビニックのみんなで作ってくれたコーヒー豆を、少しでも良い状態で日本の皆さんに届けたい、というこちらの熱が、マヤビニックのみんなにも伝わっていて、選別にはやってくるし、マンサニージョまで行くって言うし、「セイコ、まじでヤバイ奴」という認識ができつつあるものの、それによって、皆が協力し合って、ものごとを進めてくれている様子も見られて、本当に嬉しい。今日、2回目の選別作業が行われるのだが、私は、もうひとつの取り組み先である「セスマッチ組合」の日本向けサンプルのカッピングのために、ドタドタとハルテナンゴへと移動しなければならず。まるで、台風一過。平常運転で選別作業を行ってくれているだろう。
アントニオ、私があなたたちのコーヒーと一緒に心中する、と言ったら笑っていたけれど、これ、マジだからね。でも大丈夫。あなたたちのコーヒーは、たくさんの人を豊かにできる。あなたたちの子どもや、あなたたちの住む地域だけでなく、遠くに住む私たちの暮らしを含めて。あなたたちの豆は、そういう豆なのです。
アントニオとアントニオの息子。いい顔してるよ!