メキシコとコーヒー
メキシココーヒーの歴史
メキシコにコーヒーがやってきた
コーヒープランテーションの興り
メキシコ革命と「農奴」が解放
メキシコ革命後の農業改革によって何千人もの先住民グループや労働者に、小さな土地が与えられました。1914年の労働法によって「農奴」が解放され、コーヒープランテーションで奉公していた小作農が、それぞれの地域に戻り、奉公先で培ったコーヒーを育成するためのスキルや、コーヒーの苗をもたらしました。
20世紀初頭、メキシコの政党PRI (Institutional Revolutionary Party)がメキシコ国立コーヒー研究所を作り、徐々に、コーヒー栽培は、農村セクターへの社会投資だけでなく、外貨獲得が見込め、国の経済に貢献するものと考えられました。メキシコ国立コーヒー研究所(INMECAFE)の支援の厚かった1973年から1990年にかけて、地方でのコーヒー生産が爆発的に増えました。残念ながら、INMECAFEは「短期間の実験」としての機能であったため、1989年に解散すると、農家(特に遠隔の農村地域の人びと)は、支援や資源へのアクセスを絶たれることになりました。
協同組合の社会的意義
その後、コーヒー市場の下落や石油価格の降下によって、コーヒー生産者に対する支援が打ち切られることとなりました。そこで、カトリック教会などの支援を得て、オアハカのCEPCOとUCIRIといったメキシコで初めてのコーヒー協同組合が生まれ、1990年代初頭、コーヒー生産者にとって不可欠な存在となりました。
協同組合は、コヨーテ(仲買人)の搾取から農民を守り、従来のコーヒーよりも価値が見込める有機コーヒーを栽培することを推し進めていきました。協同組合のいくつかは、学校や病院と言った社会サービスを提供するなど、世界でももっとも魅力的な社会運動としての基礎を築いたのです。
つづき
「マヤビニックコーヒーの特徴」