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【DAY20】 マクドナルドからみる産地コーヒー事情

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News & Columns お知らせ

当社では少量から、フェアトレード及び無農薬栽培された
コーヒー豆を卸売り価格にて販売させていただいております。

杉山世子の【メキシコ滞在記】

2014/08/14

【DAY20】 マクドナルドからみる産地コーヒー事情

豆乃木杉山は7月26日より2か月間メキシコに滞在します。日々のことを綴ります・・・

【DAY20】 マクドナルドからみる産地コーヒー事情

サンクリストバル市街にある人気のカフェLa serva。パンも焼き立てが食べられます!

メキシコ(そして想像では多くの生産地)は、焙煎から抽出にかけて、大らか(というか無頓着)なのだろう。というのは、お客さまが大らかだからなのかもしれない。
 
宿でスペイン語を習っているアメリカ人のカップルがいて、彼はミリタリーで沖縄に居住していた経験がある。それこそ、日本が、というよりも沖縄が大好きで、力強く、日本の素晴らしさを、“日本人の”私に語ってくれる。
 
同じく宿のメキシコ人オーナーも大阪で半年間仕事をしていた経験があるので、この3人が揃うと、たちまち「日本がいかに素晴らしいか」という話になる。私は、に~こに~ことその会話に頷くだけだけれど。
 
印象的な話がある。宿のオーナー、ホセが
「日本のサービスは世界イチだ。素晴らしい!!
みんな笑顔。み~んなだよ!
空港で女性のスタッフが私の荷物を持とうとしてくれたときはビックリしたよ。メキシコで例えば荷物持ちますよ、と言われても、盗まれやしないかと心配で断るよ、僕だったら。ああ、日本は素晴らしい。」
 
続いてアメリカ人の彼が言う。
「信じられないことばかりだよ。あのマクドナルドでさえ、100%の笑顔で対応してくれるのだから。あのマクドナルドだよ!考えられないよ。アメリカじゃ、マクドナルドの店員は、商品をぽんと置いて、はい、どうぞってくらいだ。」
ホセが続く。
「メキシコでは、店員はテレビ見ながら、ほいって物だけ渡される、なんてこともあるぞ」
そこで、わはははは・・・となったときに、アメリカ人の彼が言った。

 
「でも誰がマクドナルドであんなすばらしい笑顔を求めるんだ?Nobody in the US.」
 
 
アメリカ人がマクドナルドの店員さんに、「笑顔」を求めなかったから、アメリカのマクドナルドの店員さんは笑わなくなったのか。それとも、そもそもアメリカのマクドナルドが、サービスマニュアルから「笑顔」を排除したから、お客さんもそれを期待していないのか。(ということは日本では、笑顔は「マニュアル」の中のもので、「サービス」なのか?)

この議論をして腑に落ちたのは、メキシコのコーヒーも同じかもしれない、ということ。飲む人が「より美味しいコーヒー」を求めないから、技術が一定のところで「こんなもんでいかがでしょう」と言って止まっているのか、サービスの提供者がお客さんをびっくりさせるようなコーヒーを提供しないから、お客さんも、「bueno、これで大丈夫!」という具合なのだろうか。
 
メキシコのあるカフェテリアでは、アメリカーノに加え、ハンドドリップ、フレンチプレス、サイフォンとさまざまな淹れ方でコーヒーを提供してくれる。アメリカーノに比べると、ハンドドリップ等々は価格設定も上がるので、それはそれは、と期待したいところなのだけれど、それらはパフォーマンスに過ぎず、「より美味しく」というところに照準は置かれていない。
 
例えば、18ペソのアメリカーノではオーダーが入ってから豆を挽くのに対して、30ペソのハンドドリップを注文すると、なぜかすでに挽かれている豆を、よいしょ、よいしょ、とすくって使用する。そしてシャーシャーっとお湯を注いで、はいどうぞ、という具合。だいたい焙煎機を持っているカフェの焙煎機がまったく動いていないというのも哀しいし、ようやく動いたと思ったら、大量に作り置きをする。
 
もっぱら消費するだけの側にいる私たちは、どうやったらこの素材をもっと美味しく飲めるかな~っと研究に研究を重ねる。その結果、さまざまな焙煎理論、抽出理論が生まれた。
18日目の記事で、マヤビニックがコーヒースクールを将来的に考えている、という話があったけれど、やはりネックは焙煎と抽出だと思う。そのあたりは、TEAM消費国が知恵をシェアして、メキシコ人も日本人も国籍問わず、おいしいコーヒーでに~こに~こできる日がくるといいなと、すっかりラテン脳の私は思うのだった。

さてさて、そんなわけで、今日はカフェの店長、フェルミンが久しぶりに焙煎してくれた新豆のサンプルを受け取り、カフェでコーヒーを啜りながら、マクドナルドからみる産地コーヒー事情に行きついたのだった。