「第1章 コーヒーマイスター」前編・後編、そして「第2章」1部をご覧の上で、こちらの第2章にお入りください。
「第1章 コーヒーマイスター」前編
https://www.hagukumuhito.net/news/?mode=detail&article=1122
「第1章 コーヒーマイスター」後編
https://www.hagukumuhito.net/news/?mode=detail&article=1123
「第2章 コーヒーとカフェの歴史」1部
https://www.hagukumuhito.net/news/?mode=detail&article=1128
第2章の章立てについてはこちらのブログにてにてご確認ください。
本日は、「2-3 コーヒー栽培」について、ともに学習していきましょう。
2-3-1 ティピカの歩んだ道
コーヒー栽培はイエメン→ジャワ→カリブ海マルチニーク島へ
・コーヒーの商業的栽培は、イエメンでのコーヒー飲用の始まりとほぼ同時期の15世紀半ば、モカの東の山岳地帯ではじまる
・以上、250年間、イエメン(エチオピア含む)がコーヒー栽培を独占
・積出港の「モカ」はコーヒーの代名詞に
・1616年、オランダ東インド会社の商船がモカに入り、アムステルダムにコーヒーを輸送(ヨーロッパとモカの直接取引のはじまり)
(17世紀後半には、オランダからモカへコーヒーの定期輸入することに)
・イエメンを支配したトルコは、コーヒーの苗木の持ち出しを禁じる(発芽能力を取り去ったコーヒーを輸出)
・1658年オランダはモカから苗木の持ち出し、スリランカでコーヒー栽培を成功させる。
・スリランカから対岸インドのマイソールへと広まり、ジャワ島へ
・1712年、ジャワ産コーヒーをはじめてアムステルダムに輸送(18世紀前半には生産量でモカに圧倒する)
・1706年、ジャワからアムステルダムの植物園に1本のコーヒーの苗木が送られる。その後カリブ海、中米一帯へ。(ティピカの祖先)
・1714年、コーヒーの木はルイ14世に献上
・1723年、パリ植物園で育った苗木をフランス海軍士官ガブリエル・ド・クリューが譲りうけ、苦難の末、フランス領マルチニーク島
への移植に成功
・マルチニーク島→フランス領グアドループ、1730年には配置へとコーヒー栽培が広がる。
・1730年ごろジャマイカ、1748年キューバ、1774年コスタリカ、1784年ベネズエラ
・中でもハイチは18世紀半ば、ジャワを抜いて世界最大のコーヒー生産地へ(1791年の黒人の反乱と1806年のナポリオンの大陸閉鎖まで続く)
2-3-2 ブルボンの歩んだ道・サビ病トブルボン
ブラジルのコーヒー栽培のはじまり
1715年、フランス東インド会社は、モカから苗木を持ち出し、インド洋上の小さな火山島、ブルボン島(レユニオン島)への移植に成功する
・1770年頃、この島からブラジルにコーヒーの木が伝わり主要品種「ブルボン」の誕生となる
・1870年以降、ブルボン種の導入が本格化、特にサンパウロ州ファンゼダ(農園)に作付けされ、生産増大に貢献
・1727年、ブラジルのコーヒーが伝わる。(先にティピカがフランス領ギニアから持ち込まれた。)
・18世紀中に、バイア、リオネジャネイロ、サンパウロへと栽培が広がるが、栽培量は微々たるもの
・19世紀、ヨーロッパ中間層がコーヒーを飲用するようになり、さらにアメリカのコーヒー需要も増え、コーヒーの価格が高騰。ブラジルはさらに増産をすすめ、1830年代以降ブラジルは世界最大のコーヒー生産地へ。
サビ病とロブスタの登場
・1861年 アフリカでサビ病が発生
・1868年 スリランカに続き、インド、ジャワ、スマトラへと拡大(スリランカ、インドはコーヒー栽培を断念し、茶に転換)
・サビ病対策としてカネフォラ種(ロブスタ)、リベリカ種栽培へとつながる。
2-3-3 コーヒー生産拡大とコーヒー文化の明暗
中南米諸国での展開
・ほとんどの中南米諸国では、18世紀中にコーヒー栽培をはじめる
・生産が本格化したのは、輸送インフラの整備が進んだ19世紀半ば
・1789年ベネズエラ、1843年コスタリカがヨーロッパへ輸出開始
・19世紀末までには、グアテマラ、メキシコ、ニカラグア、ホンジュラスなどが生産体制を整え、ヨーロッパ、アメリカの市場にコーヒーを供給可能に。
・1874年コロンビアが太平洋輸送ルートを開き、主要生産地域でのコーヒー栽培を展開、20世紀はじめには、世界第2位の生産国へ。
アフリカ諸国での展開
・20世紀初頭、コートジボワール、中央アフリカ、今後などの西アフリカにカネフォラ種(ロブスタ)の栽培が広がる。
・東アフリカではタンザニア、ケニアでコーヒー栽培が本格化。アラビカ種の苗木を導入。
・ヨーロッパ諸国の植民地拡大とともにコーヒー栽培は拡大
・植民地におけるコーヒー栽培の歴史は、自然破壊、モノ・カルチャー、農地の寡占、奴隷貿易、経済不安、反乱、革命、紛争、虐殺といった負の遺産の歴史であり、生産国はまだこの傷を克服できていない。
・グッドインサイド、レインフォレスト・アライアンス、フェアトレードなどのサステナブルコーヒーの動きは、このゆがみを正そうとする運動でもある
第2章は、あと「カフェの歴史」の項が残っています。
コーヒーの歴史をたどってみると、高校時代に選択していた世界史の知識が役に立ちそうですが、頭の中のどこにも存在しないそれらの知識を頼ることができないのが残念でなりません。
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【自己紹介】
・静岡県浜松市生まれ
・青年海外協力隊3カ国経験
・28歳で慶應義塾大学SFC入学 ・卒業後、株式会社豆乃木を2011年に創業
・現在第11期目
・趣味はYouTube鑑賞 (好きなYouTuberはライクサタデー、メインハイ、2か月のパパ)
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