たまにこんな質問を受けうことがあります。
「このコーヒー1杯で、現地の人にどのくらいお金がいき渡るのですか」
私はこう答えます。
「約8円です。」
これを聞いて、皆さんどう感じますか?
え、生産地には8円しか入らないのに、カフェで1杯数百円のコーヒーを飲まされている。
ぼったくりだ!
でしょうか?
それとも、
ま~そんなもんだよね。
でしょうか。
どんな感じ方があってもいいと思うのですが、私はこう言いたいのです。
「たった8円」だっていいじゃない!と。
1日2杯コーヒーを飲む人は、
1ヶ月で480円は、生産地に届いている。
1年で5760円。
10年で57,600円。
夫婦でコーヒー飲んでいたら 10年で115,200円。
今、コーヒーを飲んでいる多くの人は、10年後もコーヒーを飲んでいると思います。
だから、それなりに、影響力があるのです。
(ちなみに、8円はいわゆる売上ですので、そこから経費が差っ引かれて、生産者さんが「使える」お金はそれ以下・・・と言うことです。だとしても、影響していると言えますよね。)
今日、私はなぜこんな話をするのかというと、明後日の「はままつグローバルフェア」で、豆乃木はコアラのマーチを販売することにしたのです。ロッテのコアラのマーチ。フェアトレードもへったくれもないのですが、販売することにしました。
ちょうど、店頭で『オーストラリア森林火災支援金』の募金をつのることにしたので、それにちなんで、売上の一部がコアラ基金に送られるというコアラのマーチを販売しようと決めました。
(詳しくはこちらから→『はままつグローバルフェア』出店&『オーストラリア森林火災支援金』のお願い)
すると、スタッフの一人がこう言いました。
「これ1個買ったら、いくらがコアラ基金に渡るんだろう」
そう言われると気になって、ホームページを調べましたが、明確に「〇〇円がコアラ基金に行き渡ります」という文言は探せませんでした(あるのかもしれませんが、見つけられなかったのは事実です)。
「豆乃木のホームページにも、コーヒーのいくらが生産者に還元されます、と言う明確な数字は載っていないからね。」
と私。
単純に、1杯8円、と書いたところで、上のような真意が伝わりにくいと思っているからです。
「つまり、1箱につき1円、2円っていうレベルなのかな?」
ちょっとトーンダウンしたスタッフが言いました。
すかさず、私はこう言いました。
「急に今日、1箱買っただけで、コアラを救った気になっちゃいけないんだよ。ただ、どうせお菓子を買うなら、「小枝」や「パイの実」じゃなくって、コアラのマーチを選ぶことで、例えば1円、もしかしたら数銭円がコアラ基金に行き渡る。何もしないよりは自分の気が済むじゃん。その程度のものだとしても。」
自分の支払ったお金が、どこへ行くのか。
そこに敏感になることで、世の中は少し変わってくると思います。
どえらいブラック企業には、本当は1円だって支払いたくはないものです(だからロッテがどえらいブラック企業じゃないことを祈ります。)
かと言って、
「“過度の期待”は見当違い」
と言うものです。
「たった1杯のコーヒーで世界は変わらない」
のです。
え、どの口がそんなことを言っているのか?
豆乃木のホームページに
「1杯のコーヒーから世界は変わる」
って書いてあるじゃん。
・・・と気づいた方は上級者。コアラのマーチを1個プレゼントしたいくらいですが、確かに矛盾しますよね。
でも矛盾していないのです。
「毎日の1杯は、確実に世界を変える」が正解です。
コアラのマーチを1個買って(1個売ることで)オーストラリアの森林火災は食い止められない。
でも、お菓子を通じて、オーストラリアの状況に「目を向けるきっかけ」を作ることはできます。そこから、支援の輪が広がる可能性があるので、私はコアラのマーチを販売することにしました。
それが、コアラ基金には、1円の寄付にも満たないかもしれないけれど。
フェアトレードのための行動も、日々の積み重ね。
豆乃木自身も、まだまだ生産地に大した貢献もできていませんが、
「あなたたちとともにいるよ」
「たくさんのコーヒーがある中で、あなたたちのコーヒーを私は買いたいよ」
と言うメッセージが、彼らが安全でおいしいコーヒーを作ろうと言う「生産意欲」くらいにはなっているかもしれません。
それでは、日曜日、コアラのマーチを並べて、皆さんのお越しをお待ちしています。