「第1章 コーヒーマイスター」前編・後編をご覧の上で、こちらの第2章にお入りください。
「第1章 コーヒーマイスター」前編
https://www.hagukumuhito.net/news/?mode=detail&article=1122
「第1章 コーヒーマイスター」後編
https://www.hagukumuhito.net/news/?mode=detail&article=1123
第2章の章立ては、前回のブログでも触れていますが、本日は、「2-1 コーヒー飲用の起源」そして「2-2 イスラム世界からヨーロッパへ」について、ともに学習していきましょう。
2-1 コーヒー飲用の起源
コーヒーの登場は15世紀半ば
・植物としてのコーヒー(コフィア属)はすべてアフリカ(マダガスカル島を含む)起源
・アラビカ種の原産地はエチオピア(アビシニア高原)
→【補足】アフリカ大陸の北東部のナイル川上流地帯に広がる広大なアビシニア高原は、現在のところ、前250年頃の最も古い道具である礫石器が見つかっており、アフリカに登場したホモ=サピエンスが旧石器文化獲得した最初がエチオピアの地であった可能性がある。
・10~11世紀のイスラムの大医学者ラーゼス(アル・ラージー。865~925年)とアヴィセンナ(イブン・シーナー。980~1037年)がともに、その薬効に言及しているブンクム(bunchum)がコーヒーではないかという説がある
・文献で確実にさかのぼれる限りでは、コーヒーを飲み物として常用し始めたのは、アラビア半島の南端のアデン付近で、おそらく15世紀半ばにエチオピアから持ち込まれたと推測される
・コーヒーに関する最初の文献は、ジャズィーリー(アブダル・カデール)の写本(1587年)で、アデンのイスラム法学者(ムフティー)、サブハーニー(ジュマレディン、1470年没)がエチオピアでコーヒーの薬効と覚醒作用を知り、アデンのイスラム宗教界に広めたというもの。
15世紀半ば、コーヒーが歴史の舞台に登場したインド洋に面した都市アデン(イエメン)
コーヒー飲用のはじめりについて
1.ザブハーニー(ジェマレディン)の逸話
アデンのイスラム法学者(ムフティー)、サブハーニー(ジュマレディン、1470年没)がエチオピアでコーヒーの薬効と覚醒作用を知り、アデンのイスラム宗教界に広めたというもの。
2.シーク・オマルの伝説
13世紀末のイスラム修道僧、シーク・オマルは不祥事でモカを追われ、洞窟で草木を食む生活を強いられたが、美しい鳥に導かれコーヒーを発見したというもの。
3.山羊飼い発見伝説(カルディの伝説)
山羊飼いが、普段おとなしい山羊が木の実を食べて夜通し騒ぎまわったことに困って、付近の修道院に相談。院長がその効能を夜の勤行に利用し、「眠らない修道院」として有名になったというもの。
*後に脚色され、場所はエチオピア、山羊飼いはカルディという名がつけられた)
La danse des chèvres. Dessin de Llx.
このあたりのより詳細な内容を勉強するために参考になりそうなものは、ウィリアム・H・ユーカーズ(2017)『ALL ABOUT COFFEE コーヒーのすべて』,山内 秀文訳・解説,角川ソフィア文庫があります。
2-2 コーヒー飲用の起源
コーヒーとカフェは16世紀半ばまでにオスマン・トルコ全域にひろがる
・15世紀半ばに、アデンで歴史の表舞台に登場したコーヒーの広がり
15世紀末にはアラビア半島南部紅海海岸のモカ ↓ 中西部メッカ ↓ メディナ ↓ 1510年頃、エジプトのカイロへ |
・メッカでは、修道院から一般のイスラム信徒の間にも飲用が広がり、初めてのカフェができる。
・1517年、オスマン・トルコ帝国のセリム1世はエジプトを征服し、カイロを制圧、コーヒーを帝国の首都、コンスタンティノープル(現:イスタンブール)にもたらす
・イスラム世界でコーヒーの家(トルコでは「カフェ・ハネ」)が栄える
<カフェの変遷>としては次のとおり。
15世紀末メッカ ↓ 1510年頃 カイロ ↓ 1534年 シリア・ダマスカス ↓ 1554年 コンスタンティノープル |
・メッカでは、修道院から一般のイスラム信徒の間にも飲用が広がり、
コーヒー論争 争点まとめ
コーヒーがひろがるにつれ、次の3つの抗争が争点となっている。
1.宗教的問題(コーヒーの飲用がイスラムの教えに反するものではないか)
2.健康問題(心身に有害か否か)
3.社会・政治問題(コーヒーとカフェが社会にとって有害か)
これらの抗争を乗り越え、16世紀後半にはほぼイスラム全域に広がった。
そしてヨーロッパへ
・中東への旅行者を通じてヨーロッパへ伝えられる
・ヨーロッパではじめてコーヒーを著作の中で紹介したのが、ドイツのレオンハルト・ラウヴォルフ(1582年)
・他、イタリアのプロスペロ・アルピーニ、フランスのジャン・ド・テヴィーノなどの学者の著書によって、ヨーロッパの知識人の間にコーヒーの存在が知られ始めた
以上が第2章(1)と(2)の内容になります。
いかにしてコーヒーが「市民権を獲得していったか」というお話はとても興味深いのですが、カタカナの名前の複雑さに、苦手だった世界史の勉強を思い出しました・・・
大切なPOINT:
コーヒーマイスター資料「第7章 コーヒーの科学と健康」の章7-6「世界のコーヒーの歴史」の年表もあわせてご覧いただく方がよいです。
明日以降で、第2章「コーヒーの栽培」について学んでいきましょう。
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【自己紹介】
・静岡県浜松市生まれ
・青年海外協力隊3カ国経験
・28歳で慶應義塾大学SFC入学 ・卒業後、株式会社豆乃木を2011年に創業
・現在第11期目
・趣味はYouTube鑑賞 (好きなYouTuberはライクサタデー、メインハイ、2か月のパパ)
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