41日目の朝はサンクリストバルの宿で迎えた。すっかり朝寝坊が板についてしまい、時計は朝の8時を2,3分すぎたところ。外からは低いドラムの音が聴こえる。どこの町にいてもうっすら(そして時々強烈に)音が聴こえるのが、メキシコの常。
ホームに戻ってきて、心に余裕が出てきたせいか、朝からフェアトレードについて考えている。というのも、実は
「フェアトレード?ふん、俺らのコーヒーはそんなもんじゃないぜ!」
というようなムードは、メキシコ国内にもある。私がベラクルスやプエブラのEXPOで出会った人たちの多くは、「フェアトレード」や「オーガニック」という言葉を、斜めから見ているようなところがあった。日本でサードウェーブの看板を背負わされている人たちにも、散見されるこの現象。
ところで、コーヒーの世界的トレンドは、ざっくり言うと「ダイレクトトレード」そして「サステナブル」。私の解釈では「フェアトレード」には当然、「ダイレクトトレード」も「サステナブル」も含まれているのだけれど、ダイレクトトレードやサステナブルがOKで「フェアトレード全否定」という鼻っ柱の強い人たちがいるのはなぜだろう。
前提にあるのは、「フェアトレードが品質を絶対視していないことへの批判」だ。
たしかに、遡ってみると、もともとはフェアトレードは、貧困緩和を掲げたチャリティーの側面が強かった。それが次第に、生産者(地域)の自立を支援する連帯貿易になり、さらに「自由貿易」に変わるオルタナティブとしての貿易システムを担うものとして変容してきた。現在では、「倫理的消費」(エシカルと言う言葉にも通じる)を促し、公正で持続可能な社会をめざす社会運動のカタチと変化している。(詳しくは[渡辺龍也,2012])
私たちが、「ダイレクトトレード」でもなく「サステナブル」だけでもない「フェアトレード」を敢えて使用する理由は、一杯のおいしいコーヒーを!ということと同列で、公正で持続可能な社会を実現したいという気持ちの表れ。一杯のおいしいコーヒーの陰で、誰かが涙を流すこがないようにという願い。生産者には、消費者が求めるものを知ってもらい、お互いにとって、そして社会にとってより良いものを追求する姿勢こそが「フェア」であることは言うまでもなく。
たしかに消費者の立場で考えると、そのままでも十分すばらしい商品なのに、「フェアトレード全面押し」で来られると、「この商品の特徴が伝わっていないな…」ともったいない気持ちになる。(もしかしたら、マヤビニックコーヒーも、同じアプローチで敬遠している方がいたとしたら、やっぱり悲しい。)
逆に、フェアトレードの一言で処理するには惜しいほどの手間暇が掛けられているから、「フェアトレードか否か」だけで商品を判断しないで欲しい、という作り手の気持ちもあるだろう。(メキシココーヒーを率先する人たちはこちらの立場)
逆に、フェアトレードの一言で処理するには惜しいほどの手間暇が掛けられているから、「フェアトレードか否か」だけで商品を判断しないで欲しい、という作り手の気持ちもあるだろう。(メキシココーヒーを率先する人たちはこちらの立場)
そうだな、私もやっぱり、いつかは「フェアトレード」なんていう言葉は脱ぎ捨てたい。でもね、世界のどこかで、アンフェアな状態がある以上は、やっぱり「フェアトレード」という剣をかざし続ける。
そうそう、一方で、オーガニックをフェアトレードと同様に「思想」的に捉えるのはちょっと違う。これは私の専門外なので、もう少し機が熟したらここで書きたい。それから、フェアトレードへの批判とフェアトレードラベルに対する批判を混在させている人たちがメキシコのコーヒーピープルの中には見受けられた。これもまた一線画したいところ。
さて、今日は私がベラクルスから持ち帰ってきた豆や、エルサルバドルのスタンダード豆等々を皆でテイスティングすることに。コーヒーの楽しい時間が始まるよ。
さて、今日は私がベラクルスから持ち帰ってきた豆や、エルサルバドルのスタンダード豆等々を皆でテイスティングすることに。コーヒーの楽しい時間が始まるよ。
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